2016年9月22日木曜日

LOMO LC-Aの歴史

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LOMO LC-A

今回は私の愛してやまないカメラ「LOMO LC-A」の歴史について。

LC-Aのモデルは日本のカメラ

LC-Aは1984年、ソビエト連邦の軍需・光学会社LOMO(レニングラード光学機器合同)社で生まれました。
ソビエトのカメラと言えばコピーライカのFedやZorkiなどが有名ですが、LC-Aもご多分に漏れずコピー製品です。
モデルとなったのは日本のコンパクトカメラ、コシナCX-2。

CX-2をもとに作られたLC-Aは、日本製のカメラのように高い品質管理をされるわけでもなく、一台一台精度が違うという何ともいい加減なカメラとなったのでした。

それでもこのコンパクトカメラは月間1000台以上を出荷する人気商品となり、当時共産圏だったポーランドやチェコ、果てはキューバまで輸出されるようになったのでした。

LC-Aの発掘、Lomographyの誕生

90年代に入り、ソビエト連邦が崩壊。それまでのロシア製品は西側諸国の精密な製品に淘汰される運命を辿ります。もちろんLC-Aも。

そんな中、ウィーン大学の学生だったマティアスとウォルフガングが自由社会へと変貌を遂げるチェコを訪れます。
そこで偶然見つけたLC-Aに心惹かれた2人はフィルムを詰め、プラハの街を自由なスタイルで撮影。現像した写真を見た2人はその独特な写りに驚き、LC-Aの輸入を決意。Lomographyが誕生します。

しかし1996年、ロシアのLOMO社がLC-Aのの生産終了を発表。Lomography社はサンクトペテルブルクのLOMO社工場を訪れ、LOMO社の社長・工場長、そして当時サンクトペテルブルク市の副市長だったウラジミール・プーチンと会見、再生産の契約を取り付けました。

LC-AからLC-A+へ

2005年、LOMO社工場は工場のハイテク化のため、手作業で製作していたLC-Aの生産を完全終了しました。

そこでLomography社は独自にLC-Aを製造することを決意。生産工場を中国に移し、新しいLC-Aである「LC-A+」が誕生、現在に至ります。

まとめ

ロモ=LC-Aと思っている人も多いのですが、実際は「LOMO」とは会社の名前なのですねー。

とは言え、このブログではロモ=LC-Aと定義し、LC-Aを中心としたテーマについて語っていきます。

参考文献

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